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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)4973号 判決

原告

中外製薬株式会社

右代表者代表取締役

上野公夫

右訴訟代理人弁護士

畔上英治

服部信也

被告

有限会社浅野屋

右代表者取締役

日比野源治郎

被告

日比野源治郎

右両名訴訟代理人弁護士

安倍治夫

安倍正三

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金三七〇〇万円及びこれに対する昭和五八年五月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告日比野源治郎は、原告に対し、金一四三一万四八一二円及びこれに対する昭和五九年一月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決は、第一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

(不当利得返還請求関係)

1 原告は、医薬品、医薬部外品の製造、販売を営業目的とする株式会社であり、その営業種目の一として、ゴキブリ、ノミ、シラミ等の家庭内害虫駆除剤である燻煙式殺虫剤バルサンジェットV30(以下「バルサンV」という。)を昭和四六年八月から昭和五二年三月まで製造し、その新型として主成分の異なるバルサンPジェット30(以下「バルサンP」という。)を同年九月以降製造し、販売している。

2 昭和五三年八月六日午後八時ころ、岐阜市の繁華街である同市日の出町二丁目一一番地及び一二番地の一所在訴外合資会社ハトヤの経営する「メンズショップ・ハトヤ」日の出町店舗二階衣料品倉庫内から火が出て火災となり、同店に隣接する同町二丁目一二番地の二及び一三番地所在の鉄骨造六階建建物その他が類焼した。

3 右類焼した六階建建物は、呉服商を営む被告有限会社浅野屋(以下「被告会社」という。)をはじめ、被告日比野源治郎(以下「被告日比野」という。)の親族が経営する会社、被告日比野及び同被告の親族数人がこれを店舗又は住居として使用していたところ、被告日比野は、昭和五四年五月八日に至り、突如として、右火災(以下「本件火災」という。)は訴外合資会社ハトヤの社員が出火場所である前記店舗二階倉庫内において原告の製造販売にかかるバルサンVを燻煙させるため点火した際必要な注意を怠つたことが原因でもあるが、そもそもバルサンVの設計、製造に欠陥があり、かつ、同殺虫剤の点火等その使用方法についての注意書の記載が不充分であることに原因があると主張して、被告会社及び被告日比野の関係会社等が本件火災によつて受けた損害を賠償するよう原告に請求してきた。

4 原告は、右殺虫剤の設計、製造及び使用方法についての注意書には何ら欠陥、不備がなく、かつ、所轄警察署の捜査によつても右事実が既に明らかにされているとして、被告日比野の右請求を拒否した。ところが、被告日比野は、仮にバルサンVの設計、製造に欠陥がなく、その使用方法の説明に不備がないとしても、バルサンVの燻煙中にその燻煙場所から出火して火災となつたのであるから、右欠陥及び不備が火災原因であるとして原告に対し類焼による損害賠償請求訴訟を、欠陥商品等による被害救済の手腕に優れた弁護士として全国的に有名な安倍治夫弁護士に依頼して提起し、諸種の報道機関を利用するなどの方法を用いて原告の製品に欠陥のあることを宣伝し、それによつてバルサンVのみならず原告の全製品の商品イメージを失墜させ、原告の信用及び販売量を低下させる旨原告会社担当者に告げ、また、原告が被告日比野の要求に応じれば、被告らは左記の三条件を実行する旨申し向けて、原告に対し執拗に出金方を迫つた。

(一) 本件火災による類焼者からの原告に対する苦情は被告日比野の責任においてすべて処理し、原告には申し出させず、公にしないこと

(二) 被告日比野が前記殺虫剤に欠陥があるとして作成した書類その他の資料一切を原告に引き渡すこと

(三) 被告会社及び被告日比野は、以後原告に対し、名目の如何を問わず何らの請求もしないこと

5 原告は、バルサンVについてかつて一度も訴訟手段による欠陥追及を受けたことがなく、従つて被告らの右申し入れに応ずべきいわれはなかつた。しかし、折しも家庭用殺虫剤に対する需要が最盛期に向かう五月初旬であり、しかも商品宣伝競争が過熱している時期でもあつて、右のような訴訟を提起されること自体が、全国的にかつ永年にわたつて信頼を得てきた前記殺虫剤の商品イメージを破壊することになり、競争の激しい家庭用殺虫剤販売業界に不当な悪宣伝材料を供し、右殺虫剤の売行の減退を来たすのみならず、原告製品全体に対する信用をも低下させることになることから、原告は、被告日比野の右言動を恐れ、バルサンVの商品イメージ及び年間約三〇億円に及ぶ業界第一の販売高を防衛するため、やむなく同月一五日ころ、被告らが右4記の三条件を実行することを条件に、被告らに対し、解決金として金三七〇〇万円を交付することを承諾した。ところが、その後二日程して被告日比野から、税務対策上右解決金を原告から被告会社への期間二〇年の貸金とし、被告日比野がその返済について連帯保証人となるように改められたいとの申し入れがあつた。原告会社担当者は難色を示したが、数次交渉のうえ結局右期間を四年とすることで妥協した。そして昭和五四年五月二二日、被告会社事務所において、弁済期を昭和五八年五月二二日、利息を年五分、期限後の損害金を年一割、借主を被告会社、連帯保証人を被告日比野とする金銭消費貸借契約証書を作成し、原告会社担当者の訴外多田貢から被告日比野に対し金三七〇〇万円を交付して被告両名にこれを支払つた。

6 ところが、被告日比野は、右金員授受の前々日である同月二〇日付で、右金三七〇〇万円の授受は原告の会社規模を過小に誤認した錯誤に基づくものであり、類焼による被告らの損害は到底右解決金では満たされないから、更に金員を上積みして支払うよう要求する旨の書面(内容証明郵便)を作成しておき、右金三七〇〇万円を受領した後である同月二六日に右書面を原告に送り付けて、原告に対し出金方を迫つた。そして、原告が右要求を拒否すると、被告日比野は、脅迫的言辞を用いた書面、口頭等による申し入れを繰り返し行つたほかに、同年七月一六日東京北簡易裁判所に対し被告会社を申立人、原告を相手方とする損害賠償請求の調停申立をした。右調停事件はその第一回期日に調停委員会により調停をしないものとして終了となつたが、更に被告日比野は被告両名、被告日比野の親族及びその関係会社を原告として、昭和五五年九月二五日東京地方裁判所に対し合計金一億〇六九七万七〇〇〇円の支払を求める損害賠償請求訴訟(以下「第一次訴訟」という。)を提起した。そして、被告日比野は、右訴訟提起の事実を広く世間に知らしめようとして、自ら新聞記者等に会見を求めてこれを発表したため、有力数社の新聞紙及びテレビに右提訴の経過及び請求原因の要旨が報道されるに至つた。

7 右1ないし6の経過に照らせば、

(一) 被告日比野は、原告会社担当者に対し、バルサンVをはじめ原告会社の製品についての商品イメージを失墜させ、その信用及び販売量を低下させる手段をとる旨申し向け、原告をしてその旨畏怖させ、前記解決金の支払を承諾させたのであるから、右5の解決金の交付は、被告らの原告に対する強迫による消費貸借名義の示談契約である。

(二) 仮に右(一)の強迫の主張が認められないとしても、被告日比野は、右4記の三条件を実行する意思が全くないにもかかわらず、その意思があるもののように装い、原告会社担当者に対し解決金の支払に応じるならば右三条件を実行する旨告げて原告を欺き、原告をしてその旨誤信させたうえ右解決金の支払を承諾させたのであるから、右5の解決金の交付は被告らの原告に対する詐欺による示談契約である。

(三) 原告は、被告両名に対し、本件訴状をもつて右示談契約を取り消す旨の意思表示をし、右訴状は被告会社に対し昭和五八年五月二七日、被告日比野に対し同月二六日送達された。

(四) なお、右取消の意思表示は、強迫及び詐欺が競合一体化した行為により契約が締結されたと評価される場合にも、これを取り消す趣旨を含むものである。

(五) 仮に右取消の主張が認められないとしても、右示談契約は被告らが右4記の三条件を実行することが契約の要素となつていたところ、被告らは当初から右三条件を承諾する意思も、これを実行する意思もなかつたのであるから、右示談契約は法律行為の要素に錯誤があるものとして無効である。

(六) よつて、被告らは、原告に対し、右金三七〇〇万円を不当利得として返還すべき義務がある。

8 被告両名の連帯責任

(一) 被告日比野は、被告会社代表者であると同時に、前記類焼建物内に住居又は店舗を有する親族の一員として個人の立場をも兼ねており、この個人及び被告会社代表者の両資格をもつて前記のとおり原告に働きかけ、原告との間で前記示談契約を締結したものであり、前記解決金も同様に右両資格において受領したものである。そして右解決金の支払は、被告両名に対しその内部の区分なく不可分一体としてなされたものであるから、右不当利得返還義務は被告両名の不真正連帯債務になると解すべきである。

(二) 更に右5のとおり右示談契約が消費貸借形式でなされ、被告会社が主債務者、被告日比野が連帯保証人と表示されていることからすれば、右解決金の授受に関する紛争等に当たつては被告両名が連帯して責任を負う旨約したものと解すべきであるから、右示談契約の取消又は無効による不当利得返還義務も被告両名の連帯債務になると解すべきである。

(三) また、被告日比野は、被告会社の取締役として、故意に右強迫、詐欺及び要素の錯誤の原因行為をしたものであるから、被告日比野は、被告会社の職務を行うにつき悪意又は少くとも重過失があつたものとして、有限会社法三〇条の三第一項に基づき、原告に対し、金三七〇〇万円の損害賠償義務を負う。

9 よつて、原告は、被告両名に対し、不当利得返還請求権に基づき、各自金三七〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日以降である昭和五八年五月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(損害賠償請求関係)

1 被告日比野は、昭和五七年七月二九日、東京地方裁判所に対し、同被告を債権者、原告を債務者として、原告が製造販売する家庭用害虫駆除剤「バルサンPジェット」及び「バルサンスミチオン粉剤」(以下、「本件各医薬品」という。)の製造禁止を求める仮処分命令(以下「本件仮処分」という。)を申請するとともに、原告に対し金九八〇万円の支払を求める損害賠償請求訴訟(以下「第二次訴訟」という。)を提起し、更に同年八月一一日原告及びその代表取締役上野公夫並びに原告会社浮間工場工場長佐藤栄之輔を被告訴人として、薬事法違反及び業務上過失傷害の嫌疑で告訴する旨の告訴状を岐阜県警察本部(以下「岐阜県警」という。)に提出し、受理された。

2 被告日比野は、右仮処分申請等をした昭和五七年七月二九日、その代理人安倍治夫弁護士とともに東京地方裁判所内司法記者クラブにおいて自ら申し入れて記者会見を行い、右仮処分命令申請書及び訴状の写を配布して本件仮処分申請及び第二次訴訟提起の事実を発表したため、同月三〇日付有力新聞の全国版(読売新聞、東京新聞)及び地方紙(中日新聞、毎日新聞中部版、中国新聞、河北新報)に右概要が掲載された。

3 被告日比野は、右1の各事件(以下「本件各事件」という。)において、大要次のとおり主張した。

(一) 被告日比野は、昭和五三年ころから自己の経営する岐阜市則武地区所在のイチゴ農園において原告が製造販売するバルサンPジェット及びバルサンスミチオン粉剤を燻煙又は散布して使用したところ、昭和五四年一月ころから身体に変調を来たし、同年一二月ころには勤務会社の役員を辞任しなければならぬ程の重症となり、昭和五七年七月下旬現在全治二年以上を要する慢性気管支炎(時に急性に転化)、視覚神経障害(両カタル性結膜炎)、左側腎臓不全、慢性神経痛(特に左大腿部)の疾患と診断された。

(二) 被告日比野の右各疾患は、原告の製造販売する本件各医薬品に厚生大臣の製造承認を受けていない化合物ダイアジノンが成分として混入されていたからである。右ダイアジノンは猛毒性激薬であり、原告は右各医薬品の殺虫効果を高めるため故意にダイアジノンを混入したものである。

(三) 被告日比野は直ちに本件各医薬品の使用をやめたが、右各医薬品が近隣農家で使われるときは将来にわたつて被害を受ける危険があるので、原告に対しその製造禁止を求め、かつ同被告が受けた右各疾患による精神的苦痛に対する慰謝料として金四〇〇万円、役員辞任による逸失利益として金四八〇万円、ダイアジノンに汚染されたイチゴ五〇〇〇箱分の損害として金一〇〇万円、合計金九八〇万円の支払を求める。

4 ところが、被告日比野の右主張はいずれも、被告日比野が呉服商を営む被告会社の代表者をはじめその他の会社の経営者であつて、農園経営者ではなく、かつ、岐阜市則武地区においてイチゴ栽培の農園を経営していないにもかかわらず、これを経営しているとの虚偽の事実を前提としてなされたものであつた。また、被告日比野が農園において使用したと主張した本件各医薬品は、いずれも農業用に使用されること自体があり得ない薬品であつた。

なお、被告日比野の主張の虚偽性は次の経緯で判明した。即ち、被告日比野は、本件各事件において、当初自己の農園の所在地を岐阜市則武新生町二三九番一の土地であると主張し、公図及び写真をもつてこれを疎明していた。しかし、原告の調査により、当該場所に同被告の農園が存在しないことが明らかとなるや、同被告は、自己の農園の所在地を間違えたとして右所在地は同市大字則武字孫九郎起六九七番一の土地である旨その主張を変更した。しかし、またもや原告の調査により当該場所に同被告の農園は存在しないことが明らかとなつた。

5 被告日比野は、同被告主張の農園の存在しないことが明らかとなるや、昭和五八年一月二六日本件仮処分の申請を取り下げた。また、右1の刑事告訴事件(以下「本件告訴事件」という。)において岐阜県警が現場検証をした際にも、右大字則武字孫九郎起六九七番一の土地における農園経営の事実が虚偽であることが明らかとなり、被告日比野は捜査官の厳重注意を受けて同年五月二日右告訴の取消をした。更に同被告は第二次訴訟事件の訴を取り下げようとしたが、原告が右取下に同意しなかつたため、同被告は同年八月二九日右事件につき請求の放棄をした。

6 以上のとおり被告日比野による本件各事件の提起及びその遂行はいずれも虚偽の事実を前提としたもので、同被告はその請求に理由がないことを知りながらあえてこれをしたものであるから、同被告の右各訴訟行為等は故意による不法行為を構成することが明らかであり、同被告はこれによつて原告が受けた後記損害を賠償する義務がある。

7 原告の損害

(一) 無形損害

バルサンPジェットは燻煙式殺虫剤として業界に他の追随を許さない原告の主力商品であり、その生産量は昭和五六年度で年間約六〇〇万本、その過去数年間の年間売上高は三〇億円を下ることがなく、広く日本全国に知られた商品である。また、バルサンスミチオン粉剤の過去数年間の年間売上高は平均一億五〇〇〇万円であつて、「バルサン」の名称は原告会社の商品を表示するものとして広く知られている。ところが、原告は、被告の前記不法行為により本件各事件が新聞報道されたため、一時卸、小売業者からの販売中止、返品の申し入れが相次ぐなど、原告の商品イメージ及び一般消費者の会社に対する信用を著しく失墜し、これを回復すべく営業担当者が取引先に事情説明をするなど特別の措置を余儀なくされ、また、右各事件のために監督官庁の厚生省及び地方公共団体の担当部課による検査を受けるなどして、原告の信用に悪影響を受けた。そのため、原告の右各商品の売上高が減少するなど、その営業に障害を生じたが、この種商品の売上高は時の気象等の自然的、社会的要因も加わつて変動し、その減少率は的確に計上し難いので、これを法人の無形損害として評価すれば、原告の損害は少くとも金三〇〇〇万円を下らないところ、原告はその内金一〇〇〇万円を本訴において請求する。

(二) 弁護士費用

原告は、本件仮処分申請事件及びその本案である第二次訴訟事件への応訴を畔上英治及び服部信也の両弁護士に委任したが、右各事件のうち特に本件仮処分申請事件は原告の年間売上高三〇億円以上に上る医薬品の製造禁止を求めるもので、仮処分命令が出された場合の影響は測り知れないものであつた。従つて、原告が右両弁護士に対して報酬として支払つた金員の内金三〇〇万円が、被告日比野の前記不法行為と相当因果関係に立つ損害である。

(三) 応訴費用

原告は、被告日比野による本件各事件に対応するため、同被告が本件各医薬品による被害を受けたと主張する岐阜市内での数度にわたる現地調査、土地家屋調査士による専門調査及び調査事務所に依頼しての調査等を行い、その費用として左記のとおり合計金一三一万四八一二円を要した。

(1) 武藤裕土地家屋調査士に対し 金二二万円

(2) 株式会社たいようリサーチに対し 金一一万〇四二〇円

(3) 株式会社武藤三男調査事務所に対し 金七三万六一五〇円

(4) 従業員及び弁護士による現地調査費 金二四万八二四二円

8 よつて、原告は、被告日比野に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、金一四三一万四八一二円及びこれに対する不法行為の後である昭和五九年一月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

(不当利得返還請求関係)

1 請求原因1ないし3の事実は認める。

2 同4のうち、バルサンVの設計・製造及び使用方法についての注意書には何ら欠陥、不備がないことが所轄警察署の捜査によつて既に明らかにされていたとして原告が被告日比野の請求を拒否したとの点を否認し、その余は争う。

3 同5のうち、原告会社担当者の訴外多田貢が昭和五四年五月二二日被告日比野に対し金三七〇〇万円を交付した事実は認め、その余は否認ないし争う。

原告主張の金三七〇〇万円は、消費貸借名義で被告会社に対し当座の焼跡整理及び営業再開のための救援資金、即ち見舞金として原告から交付されたものであつて、原告の被告会社その他に対する本件火災による損害賠償義務とは何ら関係がない性質の金員である。

4 同6のうち、東京北簡易裁判所に対する調停申立とその終了及び東京地方裁判所に対する第一次訴訟の提起の事実はその日付を含めて認め、その余の事実は否認ないし争う。

なお、原告主張の昭和五四年五月二〇日付内容証明郵便は、同月二二日の会談の際原告会社担当者の訴外多田に同行して来た訴外橋本章平の表情態度までが具体的に描写されるなど、その記載内容からみて右五月二二日の折衝経過を知らなければ書けない文章であることが明白であり、従つて右内容証明郵便は、被告日比野が右五月二二日の会談の後にこれを作成し、同月二五日に投函したことは明らかであり、ただ被告会社事務員がこれを清書する際日付の記載を誤つたにすぎない。

5 同7について

(一) 同7(一)は否認ないし争う。原告会社の何人かが畏怖困惑するような言動を被告日比野がした事実はない。

(二) 同7(二)は否認ないし争う。

(三) 同7(四)は争う。

(四) 同7(五)の事実は否認する。

原告主張の三条件なるものはそもそも見舞金交付の合意の内容となつていないから、右条件の不履行を理由とする原告の錯誤の主張は失当である。

(五) 同7(六)は争う。

6 同8について

(一) 同8(一)は争う。

不当利得返還義務は受益者が負担するものであり、従つて受益者を特定することが必要不可欠であるところ、原告の主張は受益者の特定を欠いているから、被告両名が連帯して不当利得返還義務を負う旨の原告の主張は理由がない。

(二) 同8(二)は争う。

原告の被告らに対する請求は消費貸借契約に基づくものではなくて不当利得返還請求権に基づくものであるから、消費貸借形式の合意において被告日比野が連帯保証人となつているからといつて、同被告が不当利得返還義務についての連帯責任を負ういわれはない。

(三) 同8(三)は争う。

7 同9は争う。

8 主張

原告は、自社の販売するバルサンVの白煙が突如猛火に転じて被告会社の店舗を含む繁華街を瞬時に灰燼に帰せしめたことに対する一流会社としての社会的倫理的責任感から、右火災による損害賠償義務の有無とは無関係に進んで救援資金の交付を申し出た。そして昭和五四年五月二二日、原告会社取締役の指示に基づいて原告会社担当者の訴外多田が岐阜市まで出向き、被告会社の当座の焼跡整理及び営業再開のための見舞金として、消費貸借名義で被告会社に対し金三七〇〇万円を交付した。右金員の授受は談笑の裡に行われ、原告は被告会社に対し進んで右消費貸借契約に基づく債権放棄の念書を差し入れたが、他方原告は右見舞金の交付に乗じて、この機会に被告らの原告に対する本件火災による一切の損害賠償請求権を放棄させようと企て、たまたま被告日比野が席を外したのを奇貨として、情を知らない被告会社事務員佐久間三郎に対し、「社長の了解は得ている。この念書に印鑑を押してくれ。」と虚偽の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、本件火災による損害賠償請求権を放棄する旨の念書二通に被告会社及び被告日比野の印鑑を押捺させてこれを騙取した。そしてその後原告は、右見舞金の交付をもつて本件火災による被告らとの間の一切の問題が解決したと称して、被告らをはじめとする被害者との賠償交渉に応じないので、被告らはやむなく原告を相手に損害賠償請求訴訟(第一次訴訟)を提起するに至つたものである。

(損害賠償請求関係)

1 請求原因1ないし3の事実は認める。

2 同4は否認ないし争う。

被告日比野が劇薬ダイアジノンの被害場所であると主張した岐阜市則武地区には現実に被告日比野の耕作運営する一部農園も存在した。更に被告日比野は右農園の外に岐阜市栄新町三丁目五八番地及び五九番地所在の畑(現在は駐車場)においても劇薬ダイアジノンの被害を受けている。

3 同5のうち、被告日比野が岐阜県警に対する告訴を取り消した事実は認め、その余は否認ないし争う。

なお、被告日比野は、岐阜市則武字孫九郎起六九七番一の土地を訴外板谷貞子から賃借して現実に農園を経営していたが、同訴外人との間に個人的な感情対立を生じ、被告日比野が事実に基づいた主張をすれば相互に第三者を含めた家庭のプライバシー問題にまで発展するおそれがあつたので、同被告は余儀なく本件告訴を取り消したにすぎないのであつて、同被告の農園経営の事実が虚偽であつたから告訴を取り消したのでは決してなく、また右告訴取消の際捜査官の厳重注意を受けた事実もない。

4 同6は否認ないし争う。

被告日比野は、岐阜県衛生研究所技官訴外春日洋二の示唆を受けて薬害救済の動機から本件各事件を提起しこれを遂行したのであるから、同被告が本件仮処分申請等を維持するにつき主張した事実に若干の誤りがあつたとしても、これがために同被告の右各訴訟行為が不法行為に該当する理由は全くない。

5 同7(一)ないし(三)は争う。

6 同8は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一不当利得返還請求について

一〈証拠〉を総合すれば、金三七〇〇万円の授受をめぐる経緯について以下の事実を認めることができ、〈証拠〉中この認定に反する部分は、後記二において判断するとおり採用できず、他にこの認定の妨げとなる証拠はない。

1  原告は、医薬品、医薬部外品の製造、販売を営業目的とする株式会社であり、その営業種目の一として、ゴキブリ、ノミ、シラミ等の家庭内害虫駆除剤である燻煙式殺虫剤バルサンジェットV30(バルサンV)を昭和四六年八月から昭和五二年三月まで製造し、その新型として主成分の異なるバルサンPジェット30(バルサンP)を同年九月以降製造し、販売している(以上の事実は、当事者間に争いがない。)。

なお、バルサンVは合計約三三〇〇万本発売されたが、同殺虫剤に対する火災その他のクレームは一切なかつた。

2  昭和五三年八月六日午後八時ころ、岐阜市の繁華街である同市日の出町二丁目一一番地及び一二番地の一所在訴外合資会社ハトヤの経営する「メンズショップ・ハトヤ」日の出町店舗の二階衣料品倉庫内においてバルサンVを燻煙中同所から火が出て火災となり、同店に隣接する同町二丁目一二番地の二及び一三番地所在の鉄骨造六階建建物その他が類焼したが、右類焼した六階建建物は、呉服商を営む被告会社をはじめ、被告日比野の親族が経営する会社、被告日比野及び同被告の親族数人がこれを店舗又は住居として使用していた(以上の事実は、バルサンVを燻煙中火が出た点を除き、当事者間に争いがない。)。

3  本件火災原因については、バルサンVの使用者による使用上の過誤ということで、所轄警察署及び消防署からは、バルサンVの製品の欠陥が原因とは考えられない旨の非公式の中間発表がなされ、原告は、警察署からバルサンVの成分等についての照会を受けたにとどまり、それ以上に捜査を受けることはなかつた。

4  ところが、被告日比野は、翌昭和五四年四月一〇日ころ、原告会社研究所に電話でバルサンVの成分、発火温度等について技術的な質問をしてきたり、原告会社薬専部に、場合によつては原告を相手に損害賠償請求訴訟を提起するかも知れない旨予告してきた。そこで原告会社で協議した結果、あらかじめ被告日比野と電話連絡の上、同年五月八日、同社総務部次長兼総務課長の訴外多田貢、営業部次長兼薬専課長の訴外橋本章平及び名古屋支店薬専課長の訴外新山が岐阜市に被告日比野を訪ね、同被告の経営する中華料理店飛雲で同被告と会談した。

5  被告日比野は、多田ら原告会社担当者に対し、まずバルサンPが発炎している写真を何枚も呈示して同殺虫剤が非常に危険な商品であると断じ、右担当者がハトヤで使用したのはバルサンVであると説明してもPもVも同じであるとして聞き入れず、また、安倍治夫弁護士の同被告に対する転居通知の葉書らしきものを右担当者らの目につく所に置いて、「私は安倍先生を知つている。先生は過去、金融暴力被害者同盟の名古屋相互銀行問題、播州信用金庫問題や欠陥車問題で敏腕を振るつた弁護士だ。バルサンについては大学の鑑定も完了し、いつでも出訴できる。出訴する場合、安倍先生は東京地裁に出すはずで、当然マスコミに対し写真つきで発表するから、各社大々的に報道し、会社は当然のことながら大きな打撃を受けるだろう。賢明な経営者はそういう結果を回避するはずで、安上りの解決策を教えるから、話し合いのテーブルに着かないか。」、「火災原因は馬鹿なハトヤが無茶な使い方をしたためでハトヤに請求したいが、重過失に至つていないのでメーカーであるおたくに請求する。第一にバルサン使用上の注意書が不充分だから火災が起きた。第二に岐阜中署の照会に対し虚偽の回答をした。これは刑事告訴に値する。この二点が請求の根拠である。」旨述べて原告側に対し損害賠償として金三七五〇万円を支払うよう請求し、更に、「金額が千や二千では問題にならず、即刻出訴だ。訴訟になるなら三七五〇万円プラス慰謝料二〇〇〇万円の金額になる。」などと申し向けて、原告担当者に即答を迫つた。原告担当者が即答を避け、五月一五日に回答する旨返答すると、被告日比野は、自動車で原告会社担当者を本件火災現場へ案内し、その車中で、「類焼した雑居ビルの連中は焼太りになつたが、自分は保険でカバーできず唯一人損をした。今度示談しても自分は彼らの信用絶大だから彼らの請求を押えてみせる。示談は弁護士抜きでやろう。バルサンの実験データを警察が出せと言つて来ているが、示談出来れば絶対に出さない。秘密保持契約を結んでもよい。」などと一方的に一人でまくしたてた(以上の事実のうち、被告日比野が昭和五四年五月八日原告会社担当者に対し、火災原因はハトヤが不注意な使い方をしたためでもあるが、バルサン使用上の注意書が不十分だから火災がおきた旨述べて損害賠償金を支払うよう請求した事実は、当事者間に争いがない。)。

6  多田ら原告会社担当者は、欠陥車問題で安倍治夫弁護士の名を知つていたこともあつて、会社にとつて大変な事態になつたと考え、帰社して会社役員等に会談の結果を報告し、社内で対策を協議した。その結果、バルサンVは絶対に発炎しないから訴訟を受けて立つべきであるとの技術部門の意見も存在したが、折しも家庭用殺虫剤の出荷が最盛期を迎える五月であり、しかも当時大塚製薬の同種殺虫剤が原告会社の独占的市場に参入し、その売上高が原告に急迫するなど競争が激化していたこともあつて、訴訟の勝敗は別にして、当時約五〇億円の市場の五〇パーセント強のシェアを有し、年間約二六億円の売上を有するバルサンにとつて大打撃になるおそれのある訴訟提起だけは絶対防止すべきであるとの営業部門の意見が通り、三七五〇万円で他の被災者の請求も押えられるのなら企業防衛上やむをえないとの結論に到達した。そして、多田及び橋本がこの件に関する具体的な交渉を一任された。

7  その後多田と被告日比野とが電話で協議した結果、原告の支払う金額は三七〇〇万円ということで妥結し、多田は同年五月一四日付で、同月八日の会談の内容を踏まえた示談契約の案文(甲第一号証の六、七、同旨乙第八号証の二ないし四)を被告日比野宛に送付した。ところが被告日比野は、被災した同被告の親族にも一人当たり一〇〇万円ずつ分配しなければならないとして、税務対策上右三七〇〇万円を期間二〇年の貸金名義とするよう要求してきた。多田は右要求を拒否したが、被告日比野は、「これは通常のビジネスではないと思え。」などと述べて要求に応ずるよう強く迫つたので、やむなく原告も右要求を受け容れることとし、交渉の結果期間四年の貸金名義とすることになつた。

8  昭和五四年五月二二日、多田及び原告会社経理部次長の堀江が岐阜へ赴き、前記中華料理店飛雲において被告日比野及び被告会社経理担当事務員佐久間三郎との間で契約書等の作成及び金員の授受を行つた。まず、金三七〇〇万円について、右7の合意に基づき、弁済期を昭和五八年五月二二日、利息を年五分、期限後の損害金を年一割、借主を被告会社、連帯保証人を被告日比野とする金銭消費貸借契約証書(甲第一号証の一)を作成したうえ、右弁済期に右消費貸借契約に基づく債権を放棄する旨の原告の被告会社に対する念書(甲第一号証の四)、及び原告が税務対策上損金処理をするため右弁済期に被告会社が金三七〇〇万円の損害賠償金を受領する趣旨の覚書を締結し受領書を発行することを確約する旨の被告会社の原告に対する念書(甲第一号証の三)をそれぞれ作成し、更に前記五月八日の会談における被告日比野の意向を踏まえて、被告会社及び被告日比野の原告に対する左記内容の念書(甲第一号証の二、以下「念書」という。)を作成した。

(一) 金三七〇〇万円の借用により本件火災によつて類焼した件に関する原告との一切の問題が円満に解決したことを確認する。

(二) 今後原告に対し一切何らの請求、異議申立をしないことを確約する。

(三) 本件に関する調査資料の全てを原告に交付し、原告において任意処分することを認める。

右各書類はいずれも多田又は堀江がその場でその原稿を作成してこれを被告日比野の閲読に供し、同被告の了承を得たうえで契約書は堀江が、念書類は多田が清書し、同被告又は佐久間がこれに押印した。また、多田は、右被告会社の原告に対する念書(甲第一号証の三)に基づき将来被告会社から原告に差し入れるべき損害賠償金受領の覚書案(乙第五号証の多田作成部分)を作成してこれを被告日比野に交付した。なお、前記五月八日の会談の際に被告日比野が言及した秘密保持契約の締結及び本件火災の他の関係者から原告に対する請求を同被告が押えるとの点については、原告会社として必ずしも利益がなく、また、同被告との契約で全くの第三者を拘束することはできないとの判断に基づき、これを念書の内容からはずして成文化しなかつたが、同被告の親族に関しては同被告が代表して責任を負うという趣旨で、本件念書には被告会社に加えて被告日比野個人も記名押印した。そして、右各書類に被告側が調印後、多田は原告振出の金額三七〇〇万円の小切手を被告日比野に交付し、同被告からバルサンの実験資料と称する写真等を受領した(以上の事実のうち、五月二二日多田が被告日比野に金三七〇〇万円を交付した事実は、当事者間に争いがない)。

9  ところが、被告日比野は、右示談契約(以下、「本件示談契約」という。)の前々日である同年五月二〇日付で、右の示談契約は原告の会社規模を過小に誤認した錯誤に基づくもので、被告会社の損害は右金額では到底満たされないから、契約内容の修正に応じるよう要求する旨の書面(内容証明郵便、甲第二号証)をあらかじめ作成しておき(甲第二号証が五月八日の前記会談後五月二二日の本件示談契約より前に作成されたものであることは、その作成日付のみならず、五月二二日前に念書の案文で予定されながら、前認定のとおり五月二二日成立の念書類から外された秘密保持条項に言及していること、五月二二日には多田と橋本両人ではなく多田と堀江が立会つていること、及び甲第二〇号証から明らかである。)、前記小切手が入金となつたのを確かめた後、同月二五日右書面を原告宛発送して、原告に対し更に金員を上積みして支払うよう要求した。そして、原告が右要求を容易に受け入れないとみるや、被告日比野は、原告会社の担当者の多田、常務取締役の佐々木高幹を通じて、又は直接に原告会社宛繰り返し書簡、内容証明郵便及び資料を送り付け、あるいは架電して、同被告がかつて金融暴力被害者同盟を結成して名古屋相互銀行や播州信用金庫の件で刑事告発、国会の大蔵委員会における質問を行わせるなどして成果を挙げたとする活動歴や自らの反骨精神を誇示し、同被告の要求に応じなければ、バルサンPの被害者同盟を結成すること、安倍治夫弁護士を代理人として原告を詐欺罪で告発し、マスコミを通じて世論に訴えること、原告に対し一億四〇〇〇万円の損害賠償請求の本訴を提起すること、テレビ、新聞等に最大限に宣伝して世論の原告に対する非難攻撃を喚起するまで全国的に原告製品の不売運動を起すこと、欠陥商品の販売を許可した国に対する国家賠償請求の訴を提起すること、国会の大蔵委員会で追及させバルサンPの回収命令が出るまで闘うこと、等々の手段によつて原告の信用、名誉、経済的利益に重大な損害を与えるかも知れない旨の丁重ながら過激な言辞をつらねて執拗に出金方を迫つた。この間、同年六月一五日には直接原告本社へ赴いて多田及び堀江と会い、前記五月二〇日付内容証明郵便を発送したいきさつを明かした上再度和解に応ずるよう、応じなければ会社の不利になる旨を告げて執拗に要求し、その後も原告側に対し頻繁に同旨の書面を送り続け、類焼建物の所有者が暴力団と関係がある旨ほのめかしたり、本件念書は原告側が被告会社事務員を欺いてこれを騙取したものであるから被告日比野は一切関知しない旨主張するなどして、原告に対し訴訟等の手段がとられた場合の不利益を考え金員の支払に応じるよう要求を繰り返した。そして同年七月一六日には東京北簡易裁判所に対し被告会社を申立人、原告を相手方とする損害賠償請求の調停を申し立てた。右調停事件はその第一回期日(同年九月六日)に調停委員会により、事件が性質上調停をするのに適当でないという理由で調停をしないものとして終了となつた(右調停申立とその終了については、当事者間に争いがない。)が、被告日比野はその後も前同様の書面を原告側に送り続け、更に同年九月ころ以降は原告が要求に応じなければバルサンVに限らず原告の全製品を攻撃目標にする旨ほのめかしたりして執拗に請求を続けた。これに対し原告は、これ以上被告日比野の要求に屈するのは妥当でなく、仮りに出訴されても営業上の損失を耐えるべきであるとして、同被告の右要求を拒否し続けたところ、同被告は、昭和五五年九月二五日、被告両名、被告日比野の親族及びその関係会社を原告として、原告会社に対し総額一億〇六九七万七〇〇〇円の支払を求める損害賠償請求訴訟(第一次訴訟)を東京地方裁判所に提起した(右第一次訴訟提起の事実は、当事者間に争いがない。)。そして自ら記者会見を行つて右提訴の事実を発表したため、有力数社の新聞紙及びテレビに右提訴の経過及び請求原因の要旨が報道された。

二被告日比野の供述について

被告日比野の供述は、概ね被告の主張事実に沿つたものと評価しうるが、供述内容自体前後に矛盾が多くみられ、前掲各書証により認められる客観的事実とも多くの点で相違しているうえ、全体として真実味に欠けること甚だしく、到底採用の限りでない。

三金三七〇〇万円の返還義務について

1 右一において認定した事実によれば、

(一) 被告会社代表者の被告日比野は、原告に対し、同被告の要求に応じなければバルサンVが欠陥商品であるとして原告を相手に損害賠償請求訴訟を提起し、報道機関を利用してこれを宣伝する旨申し述べ、そういう事態になれば原告会社の営業は大打撃を受けることになる旨告げて出金方を迫り、

(二) 原告は、被告日比野のいう通り訴訟になれば、勝敗は別にして、いわば同社の看板商品であるバルサンの売上が大打撃を受けるものと考え、企業防衛の見地から訴訟提起を避けるためやむなく被告日比野の要求を容れて被告会社との示談に応じる旨決意した。

というのであるから、原告と被告会社との間の本件示談契約は、被告会社代表者の被告日比野が原告に対し、要求に応じなければ訴訟提起及び報道機関を利用しての宣伝、刑事告訴等により原告会社の信用、業務を毀損、妨害する旨申し向けたため、右被告日比野の言動に脅威を感じ畏怖困惑した原告がその信用及び営業上の利益を防衛するためやむなくその締結に応じたものと認めることができる。

そこで以下、被告日比野の右言動が違法な強迫行為に該当するか否かの点につき判断する。

2  被告会社及びその代表者の被告日比野はともに本件火災の被害者であるから、被害者の立場から右火災原因は原告製品の欠陥にある旨主張して原告に対し損害賠償金を支払うよう請求し、その交渉過程において原告が請求に応じなければ訴訟を提起する旨を告げ、それが報道されることを示唆したとしても、右行為自体は、その請求に理由のないことが一見明白であるにもかかわらず不正な利益を得る目的から行うなど特段の事情のない限り、一般に違法な行為であるとはいえない。

しかしながら、前記一において認定した本件示談交渉の経緯及び同一9において認定した本件示談契約後の被告日比野の行動経過によれば、被告日比野が本件示談契約交渉過程においてとつた言動は、単に訴訟及び報道により原告が本来蒙ることを余儀なくされる相当な被害の範囲、程度をこえて、刑事告訴の対応を含め原告がいわれなき打撃を受ける可能性があること及び大企業たる原告がこれにより企業の信用及び経済的利益にいわれなき損失を受けることを極度におそれることを承知の上で、原告の対応によつては欠陥車問題等で著名な安倍治夫弁護士を代理人として積極的に報道発表や刑事告訴の手段に訴えるかも知れないことを陰に陽に強調して出金を迫つたもので、既にその態様において示談交渉において許容される手段の相当性を逸脱しているといわざるを得ない。のみならず、被告日比野は、まず始めに原告の会社規模にしては見舞金程度であるとする本件示談金に近い金員を請求して原告側の出方を伺い、原告がこれに応じて金三七〇〇万円を拠出するや、更に多額の金員を引き出すべく、時を置かずしておびただしい数の書面を送り付け、原告に対し執拗に出金を迫つたが、原告が再度の請求に応じなかつたため提訴にふみ切り、報道機関を利用してこれを宣伝したものということができ、これに加えて、後記第二の一において認定するとおり、右提訴から僅か二年後に、同一会社である原告を相手として、本件火災(バルサンV)とは全く無関係な原告の別の製品(バルサンP及びバルサンスミチオン粉剤)の欠陥を追及する仮処分、本訴、刑事告訴等の各事件を起こしていることをも併せ考えると、被告日比野は、本件火災に原告製品(バルサンV)が関係していたことを奇貨として、原告に対する損害賠償請求権の存否のいかんにかかわらず、示談金名下に原告から金員を引き出そうと企て、訴訟提起及び報道機関を利用しての宣伝等を脅迫材料にして原告に対し本件示談契約を強要したものと認めるのが相当である。更に前記一5及び7で認定した被告日比野の交渉態度をも考慮に入れれば、被告日比野が原告に対し本件示談を強要した行為は、その目的及び態様からみて被告らの原告に対する損害賠償請求権の存否にかかわらず、違法な強迫行為に該当するものと認めるに十分である。

3  請求原因7(三)(本件示談契約を取消す旨の意思表示)の事実は本件記録上明らかである。

4  よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告と被告会社との間の本件示談契約は、強迫を理由に取り消されたものとして、被告会社は原告に対し、右示談契約に基づく金三七〇〇万円を不当利得として返還すべき義務を負うものと認められる。

四被告日比野の責任

本件示談契約が原告及び被告会社の間で締結されたものであることは、契約書(甲第一号証の一)及び念書(甲第一号証の三、四)の記載内容からして明らかであるから、右示談契約に基づく金三七〇〇万円の費消関係が証拠上明らかにされない本件においては(被告日比野本人尋問の結果中右の点に関する供述部分は措信できない。)、右示談契約の取消による右金三七〇〇万円の不当利得返還義務は、右示談契約の当事者である被告会社が受益者としてこれを負うものと認めるのが相当である。

また、本件示談契約が金銭消費貸借契約の形式でなされ、その趣旨の契約書(甲第一号証の一)に被告日比野が連帯保証人として記名押印していることは前記一8において認定したとおりであるが、右契約書の形式は被告会社の税務対策上の配慮に基づくものでそれ以上の意味を有するものとは認められないから、右契約書に被告日比野が連帯保証人として署名押印しているからといつて、同被告が原告に対し本件示談契約がその効力を失つた場合の不当利得返還義務について連帯責任を負う旨約したものと解することは困難であると言わざるを得ない。

しかしながら、被告日比野は被告会社の取締役であり、同社取締役として前示のとおり強迫行為を行い、原告を畏怖困惑させたうえ被告会社と原告との間で本件示談契約を成立させ、原告から金三七〇〇万円の交付を受けたのであるから、同被告は被告会社の職務を行うにつき少なくとも重過失があり、これによつて原告に金三七〇〇万円相当の損害を与えたものと認められる。従つて、被告日比野は、有限会社法三〇条の三第一項に基づき、原告に対し金三七〇〇万円の損害賠償義務を負うものと認められる。

五小結

以上判示したところによれば、被告会社は、原告に対し、不当利得として金三七〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五八年五月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、被告日比野は、原告に対し、有限会社法三〇条の三第一項に基づき金三七〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日以降であることが記録上明らかな同年五月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

第二損害賠償請求について

一請求原因1ないし3の事実(被告日比野による本件各事件の提起及びその遂行)は、当事者間に争いがない。そこで以下、同被告の右各訴訟行為が原告に対する不法行為に該当するか否かにつき検討する。

二〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認めることができ、被告日比野本人尋問の結果中この認定に反する供述部分及び前掲〈証拠〉中この認定に反する記載部分はいずれも措信できない。

1  被告日比野は、本件仮処分申請事件の疎明方法として提出した昭和五七年七月二九日付上申書(甲第五二号証)において、同被告は岐阜市則武地区で約一〇〇〇平方メートル(約三〇〇坪)のイチゴ農園を経営する者であり、同被告の右農地は二、三の農家に囲まれている旨陳述していた。そして、同被告は右農地の所在地を岐阜市則武新生町二三九番一であると主張し、右上申書添付の公図及び写真でこれを疎明していた。

2  しかし、岐阜市則武地区には公簿上則武新生町という地名は存在しないこと、被告日比野が右公図によつて特定主張した右土地の所在地の正確な表示は同市大字則武字道甫分二三九番一であること、右大字則武字道甫分二三九番一の土地は訴外中村登、同中村みよ子の共有にかかる現況が宅地であつて、農地ではないこと、右共有者は、被告日比野が本件各医薬品による被害を受けたと主張する昭和五三、四年ころよりかなり以前から右土地上に住宅を建ててこれを第三者に賃貸しており、右土地を同被告に賃貸したことは一度もないこと、更に同被告が疎明方法として提出した岐阜県衛生研究所長発行の試験成績書(乙第一二号証の一、三)にイチゴの採取箇所として記載されている場所(岐阜市栄新町三丁目一五番地及び二五番地。なお、右試験成績書には、右各場所で採取したとされるイチゴからダイアジノンが検出された旨記載されている。)及びその周辺は商店、飲食店、旅館、ボーリング場、ガソリンスタンド、駐車場及び住宅等の混在する地域であつて、農地は全く存在しないこと、以上の事実が原告会社の現地調査により判明した。

3  原告は、右調査結果に基づき、本件仮処分申請事件において被告日比野の主張する農園が存在しない事実を指摘した。すると同被告は、自己の農園の所在地の表示を誤つたとして、右所在地は岐阜市大字則武字孫九郎起六九七番一の土地である旨その主張を変更した。そして、同被告は、右土地をその賃借人である訴外板谷貞子から転借し、同所においてビニールハウスを設置してイチゴを栽培している旨主張し、右土地の付近一帯の地図(甲第五五号証)及び写真(甲第五六号証)、右土地の登記簿謄本(甲第五七号証)、訴外板谷との間の農地賃貸借契約書(甲第五八号証)、同被告が右土地においてビニールハウスでイチゴを栽培していた旨の訴外板谷の上申書(甲第五九号証)を疎明方法として提出した。

4  しかしながら、原告会社が土地家屋調査士及び調査事務所を使うなどして現地調査をしたところ、右大字則武字孫九郎起六九七番一の土地は訴外大塚與四郎が所有する地積三九〇平方メートルの土地で、周囲を道路及び宅地で囲まれていること、右土地はその近隣に居住していた訴外板谷が訴外大塚から賃借し、昭和五二、三年ころまで家庭菜園として使用していたこと、訴外板谷は昭和五二、三年ころ他所へ移転し、以後右土地は使用されずに放置され、その間被告日比野をはじめ第三者が右土地を耕作したことは一度もなく、ただ訴外武藤が訴外大塚の承諾の下に右土地の北端にビニールハウス一棟を設置し、農機具の置場としていたこと、更に同被告は、前記疎明方法として提出した地図(甲第五五号証)において、右土地の所在地をその真実の所在地から約一五〇〇メートルも離れた地点として特定表示していたこと、以上の事実が判明した。

5  そこで原告が本件仮処分申請事件において右調査結果により判明した事実を指摘したところ、被告日比野は昭和五八年一月二六日本件仮処分申請を取り下げた。

6  また、同年五月二日本件告訴事件において前記岐阜市大字則武字孫九郎起六九七番一の土地の現場検証が行われ、被告日比野による右土地での農園経営の事実が全くの虚偽であることが捜査官に明らかとなつた。その結果被告日比野は虚偽の事実に基づいて告訴をしたとして捜査官から指摘され同日本件告訴を取り消した(以上の事実のうち、同被告が本件告訴を取り消した事実は、当事者間に争いがない。)。

7  更に被告日比野は右第二次訴訟事件についても同年五月二八日裁判所に訴の取下書を提出したが、右取下について原告の同意を得られなかつたため、同年八月二九日の右事件口頭弁論期日において請求の放棄をした。

8  なお、そもそも被告日比野は、被告会社の取締役をはじめ日比野不動産株式会社、株式会社丸太奥田商店、大蔵観光株式会社及び株式会社飛雲の代表取締役をしている会社経営者であつて、農園経営者ではない。また、本件各医薬品はいずれも家庭内に発生するゴキブリ、イエダニ、ノミ、ナンキン虫等の衛生害虫の駆除を目的とする医薬品であり、農作物に発生する害虫の駆除を目的とする農薬とはその薬効、用量、用法が異なるものであるから、事実上農薬として使用されることがありえない製品である。

三右二において認定したところから明らかなとおり、被告日比野は、農薬として使用されることのありえない医薬品を農薬として用いたと主張し、農園経営の事実がないにもかかわらず、自ら、農園経営者である旨装つて、原告を相手に本件各事件を起こしたもので、同被告が本件各医薬品により身体に被害を受けた旨の主張(請求原因3(一))は全くの虚偽と認められるから、本件各事件はいずれも当初から全く理由のないことが明らかであつたということができる。

もつとも、仮処分の申請、訴えの提起、刑事告訴及びその遂行等の訴訟行為が不法行為に該当するためには、単に結果的にみて権利がなかつたにもかかわらずこれあるものとして右各訴訟行為をしたというだけでは足りず、それが目的、その他諸般の事情からみて著しく反社会的、反倫理的なものと評価され、公序良俗に反していると認められる場合、即ち訴訟行為がそれ自体として違法性を帯びている場合でなければならないものと解すべきである。

ところで、前記第一及び第二の一、二において認定判示した事実によれば、被告日比野は本件火災による損害賠償金名下に原告から金員を引き出そうと企て、要求に応じなければ訴訟提起及び報道機関への発表等により原告の信用、業務を毀損、妨害する旨強迫して本件示談契約を締結させ、その後右手段を含めたさまざまの手段をとることを示唆して原告に対し更なる出金方を迫り、その過程において、もし同被告の要求に応じなければ原告会社の全製品を攻撃目標にする趣旨のことをほのめかすなどしたが、結局原告がこれに応じなかつたため、同被告は原告相手に本件火災による損害賠償請求訴訟(第一次訴訟)の提起にふみきり、報道機関に右提訴の事実を発表した経緯があること、本件各事件は、右訴訟提起から僅か二年後に、同一会社である原告を相手に、しかも虚偽の事実を前提にして提起されたものであること、同被告は本件各事件の提起にとどまらず自ら求めて記者会見を行い、報道機関を利用してこれを宣伝しておきながら、その主張事実の虚偽性が判明するやいなやすぐさま申請の取下等により右各事件を終結させていること、以上の諸事情が認められる。右諸事情を総合すれば、被告日比野は、昭和五四年五月二二日の本件示談契約により原告から金三七〇〇万円を引き出したものの、その後更に多額の金員を引き出そうとして容易に奏功しないため、更に予告したバルサンV以外の原告の薬害問題追及の形をとつて、訴訟、告訴、報道機関を利用しての宣伝等の手段により原告会社に圧力をかけようと企て、もつぱら右目的のみから故意に虚構の事実に基づいて原告会社の製品の欠陥を追及する形の事件を創出したものと認めるのが相当である。被告日比野は、本件各事件を提起した動機について、岐阜県衛生研究所技官春日洋二の示唆を受けて薬害救済の動機から本件各事件を提起するに至つた旨供述するが、本件火災の発生から本件各事件の提起に至るまでの被告日比野と原告会社との交渉経過からみて到底信用できず採用の限りではない。

右によれば、被告日比野による本件各事件の提起及びその遂行は、本件各医薬品へのダイアジノン混入の事実の有無及びその違法性の有無いかんにかかわらず、その目的及び態様からみて著しく反社会的、反倫理的なものと評価することができ、公序良俗に反していると認められるから、右各訴訟行為はいずれも原告の信用及び営業利益を違法に侵害したものとして不法行為に該当するというべきである。

四そこで以上の事実を前提に以下損害の点につき判断する。

1  無形の損害

〈証拠〉を総合すれば、昭和五七年当時の本件各医薬品の年間売上高は、バルサンスミチオン粉剤のみで約一億五〇〇〇万円、バルサンPジェットを併せれば約三三、四億円に上るものであつたこと、「バルサン」の名称は本件各医薬品に限らず原告の製造販売する他の家庭用殺虫剤にも用いられ、消費者の間でもその知名度が高かつたこと、ところが被告日比野による本件各事件の提起及び新聞報道により薬局及びスーパーマーケット等から原告に対し原告会社製品の販売中止及び返品の申し入れが相次いだうえ、官公庁による立入検査をも受けたこと、そのため原告会社営業担当者は取引先等に対する事情説明に追われ、約一か月間正常な営業活動を行うことができなかつたこと、その結果原告のこの種商品の売上高は、季節及び気候等の自然的要因及びその他の社会的要因による影響を考慮に入れてもなお、少くとも一パーセント程度減少したとみられること、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、被告日比野による本件各事件の提起及びその遂行により、一般消費者の間で確立していた「バルサン」の信用、即ち原告会社の信用が少なからず毀損され、その結果原告に売上の減少をはじめさまざまな営業上の不利益をもたらしたものということができ、原告の被つた右不利益を法人の信用利益の侵害による無形の損害として金銭的に評価すれば、少くとも金三〇〇〇万円を下らない(従つて、原告の請求金額である金一〇〇〇万円を超える)ものと認めるのが相当である。

2  弁護士費用

〈証拠〉によれば、原告は本件仮処分申請事件及びその本案である本件第二次訴訟事件への応訴を畔上英治及び服部信也の両弁護士に委任し、その報酬として畔上弁護士に昭和五七年九月二日金三〇〇万円、服部弁護士に同月一日金二〇〇万円、合計金五〇〇万円を支払つた事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、前認定のとおり右各事件のうち特に本件仮処分申請事件は原告の年間売上高が三〇億円を超える医薬品の製造禁止を求めるもので、右申請どおりの仮処分命令が出された場合に当然予想される原告の不利益の重大さに鑑みれば、右各事件が前認定の経緯で比較的短期間のうちに容易に解決した等の事情を考慮に入れてもなお、被告日比野に対して賠償を求めうる弁護士費用は金三〇〇万円を下らないものと認められる。

3  応訴費用

〈証拠〉を総合すれば、原告は、被告日比野による本件各事件に対応するため、同被告が本件各医薬品による被害を受けたと主張する岐阜市内に従業員及び弁護士が出張して数度にわたり現地調査を行つたほか、土地家屋調査士に依頼しての専門調査及び調査事務所に依頼しての調査を行い、その費用として請求原因7(三)(1)ないし(4)記載のとおり合計金一三一万四八一二円を支出した事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

五小結

以上判示したところによれば、被告日比野は、原告に対し、不法行為に基づく損害賠償として金一四三一万四八一二円及びこれに対する不法行為の後である昭和五九年一月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

第三結論

以上判示したとおり、原告の被告らに対する本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官荒井史男 裁判官小田泰機 裁判官西川知一郎)

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